ふしぎ街道

このごろ ほんとう話

 

じぶんは埼玉に住んでいますが、いっとき九か月ほど、隣の群馬県まで、通勤していたことがありました。

片道約35キロで、一時間ちょっとぐらい、ずっとふつうに、メインの国道を利用していました。

渋滞はさほどなく、おおむね快適でしたが、対向車がかなりあって、それも大型車が多く、皆スピードをけっこう出すので、その点は忌まわしく思っていました。

とくに、利根川を渡る大橋では、当然逃げ場がないので、何かのハズミで車両が接近したらと、心配性なじぶんは、余計な想像にかられるのでした。

そして、何か月かたったある日、別のルートで行ってみようかと、ふと思いついて、地図を調べてみました。といっても、都会ではないので、しかも川を渡るため、選択肢は限られていましたが、とりあえず西へ4キロ程離れた、さほど時間的にロスしない、新しいルートを選びました。

その道路は、狭くて往来も少なく、トラックもまばらで、じぶんの恐怖心はやわらぎました。それからは、時間に余裕がある時は、なるべく新ルートを愛用していました。

その群馬通いが終わって、あるとき、亡き父のお兄さんにお会いする用事のため、押入れ奥から戸籍の写しを出して、久方ぶりに眺めていたら、

・・・「あれれ・・・なんだこれは・・・⁉」

なんと、東京に住んでいた、母方のおじいちゃん、おばあちゃんの、生まれた所が、その通勤用ウラ街道が突っ切る、まさに真ん中の町であることが、判明したのです。しかも偶然、一度仕事帰りに、気になった風景があったので、写真を撮るため、降り立った場所でもあったのです。

今の今まで、祖父母の故郷のことは、正確に把握していなかったし、東京のどこかだろう、ぐらいにしか思っていなかったので、驚きはひとしおでした。ほんの気まぐれで、初めて通ることなった、縁もゆかりも無いはずの道路が、まさか自分自身という存在の、根源に関わる場所であったというのは、ふしぎな巡り合わせというべきでした。

ごく普通の、平和な田園地帯でしたが、二人のふるさとは、じぶんにとっても、特別な土地に間違いありません。やはりご縁というか、無意識のうちに、呼び寄せられたのでしょうか。

ご先祖様に感謝しなさいという、ある種のいましめ、啓示みたいなものでしょうか。

・・・たまには二人で、里帰りしてたのだろうか。

すでにじぶんには、父母もいないので、東京にいる親戚ぐらいしか、昔話を聞くあてもないのですが、その時ばかりはしみじみと、祖父母との遠い思い出に、心をめぐらせたのでした。

 

 

 

 

 

 

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