じぶんの生家は、母親の節約主義が浸透していたので、本当に必要、最低限のものしか、ありませんでした。
自動車、エアコンは当然なし、テレビも、まわりの家はカラーなのに、うちだけ随分ながい間、白黒のままでした。
車がない理由は、父親が近視だからだと、母は説明していましたが、父の通勤は自転車だし、家族全員のお出かけは、行事としてなかったので、どうしても必要なものだと、認識されなかったのです。母からしてみれば、車はとんでもなく高価であり、心配性だったので、交通事故も大きな理由でしょう。バイクの雑誌を買っただけで、あぶないだの不良だのと、非難される始末です。
じぶんたち子供の玩具も、パズルやめんこの類いで、友だちの家にある野球盤などは、贅沢でけしからん品物だったのです。
中学生になると、年ごろなので、はやりの音楽を聴くことが、娯楽になってきました。かろうじてラジオはあったので、洋楽のベストテン番組とかを、好んでチェックしていましたが、繰り返し曲を楽しむためには、やはりカセットテープレコーダーが必要です。
しかし当時のこづかいでは、自前はきびしいので、親に話しましたが、もちろん簡単には、許可してくれません。そのときの、おねだりした状況を、はっきり覚えていないのですが、けっこうクドクドと、陳情したみたいです。
というのは、ある日クラスメートと二人で、帰宅途中雑談していたら、突然その子が、「君が今、一番欲しいものを言い当ててみようか」と、発言したのです。
「えっ⁉・・・」と、最初なんのことか、何をいっているのだろうと、不思議におもっていたら、そのものズバリ、「カセットテープレコーダー」と、したり顔で言い放ちました。
彼とは、同じクラスというだけで、それほど親しくはなかったのですが、彼の父親とじぶんの父は、同じ工場に勤めていたのです。つまり父が、あんまりしつこく要望されるので、会社でこぼしていたというわけです。
じぶんは、二の句がつげませんでした。レコードどころか、カセットすら無いという境遇が、じんわりと身に染みたのです。
...それでも、ようやく、お許しがでました。音楽だけではなく、英語の勉強のために、どうしても必要なのだという、大ウソが功を奏しました。お正月に、大都会である大宮へ、父と弟と初もうでに行った帰りに、お年玉という大義名分で、買い与えられました。
しかし残念ながら、新品ではなく、リサイクルショップの中古品でした。けれどもじぶんにとっては、いくらか古びたその黒い機械は、はじめて手にする、心おどる電脳器具だったのです。
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