外でたべない人

日ごろ おもいで話

 

物心ついてから、じぶんには、母親と外で何かをたべたという、記憶がほとんどありません。

本当に小さいころ、一回だけ、母と百貨店のレストランで、プリンがでてくるのを、ひたすら待っていた、思い出があるぐらいです。

小学生のころ友だちと、好きな食べ物の話をしていて、その子が「カツドン」とか、「テンドン」とかいっても、その名前の正体が何なのか、じぶんには分からなかったのです。

母は毎日毎日、手作りの家庭料理を、つらぬいていました。

昼間パートで働いて、夕方6時前に帰宅して、それから四人分の食事なので、たまには出前でもとったら、とか思ったのですが、そういうことは、一度も発生しませんでした。

初めて実家に、お寿司のオケが登場したのは、母が亡くなったときなのです。

父親と二人の息子は、ご飯に関しては、口出しも、ましてや手伝いも、全くしませんでした。わが家は、生真面目できびしい、母の独裁色が強かったので、今日はめでたい日だから、外へたべに行こうとかいう、開放的な雰囲気は、ありませんでした。

たださすがに父だけは、ごくたまに、内食ばかりの待遇に、不平を漏らしていて、母に、「この男は、外でたべるものは、みんな美味しいと信じ込んでいるんだから」と、批判されていました。

あるとき父が、当時できたばかりの、セブンイレブンのおにぎりを、楽で世話ないと、ニヤニヤ褒めていたところ、母は憎しみをこめて、「高いよ、とんでもない、そんなもの」と、ひどく嫌悪したのです。

それでも、じぶんが高校生になるまでは、年に数回程度、おゆるしがでて、弟と父に連れられ、外食することはありました。

普通の食堂とか、お蕎麦屋さんでしたが、わが家の行事には、家族旅行どころか、買い物すらなかったので、数少ない、最大級の娯楽でした。(洋服とかも、母が買ってくる既製服か、手作りのものを、我慢して着るだけです。)

そんな時でも、母はもちろん不参加で、自宅でひとりで、簡素に済ませていました。

そうすることが、母にとっては、十分しあわせで、一番良い姿だったのです。

 

 

 

 

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