ボウジだったころ

日ごろ おもいで話

 

田舎の小学生のころ、坊主頭の生徒は、学校内で、ほぼじぶんと弟だけでした。

坊主といっても、常に短かったのではなく、ある程度伸びてきたら、丸刈りにして、しばらく放置、また丸刈りの繰り返しです。

母親が施行した、経済政策のひとつで、床屋にいく回数を減らす策略です。うちの家庭は、両親共働きで、特に貧乏ではなかったのですが、母の節約根性は昔からで、シツケも厳しかったため、逆らうことは不可能でした。

当然、刈ったばかりは目立ったので、同級生にからかわれ、嫌な思いはしていました。何で坊主なのか、尋ねる子はいませんでしたが、ある友だちが、君は「坊主」の「児童」だから、「ボウジ」だと、あだ名を発明してくれました。

おまけに、当時はズボンとかも、地味で色気のない、母親の手作りだったので、普通の子とは違うんだという、劣等感、疎外感を、植え付けられたのだと思います。

ちなみに母自体は、ラクだからと、短いパーマを常態していました。

そんなあるとき、同級生で、坊主頭の同士が、突然ひとり増えました。

その子は不幸にも、事故で父親をなくし、本当に経済的な理由で、頭を丸めたという話でした。じぶんと弟は、坊主のうちでも、五分刈りのレベルで、免除されていたのですが、その子はさらに短い、青白い程の五リン刈りで、皆になでられてる姿は、忘れることができません。

彼もじぶんと同様、逆らったり、いじめ返すようなことは、全くしませんでした。

そうして、晴れて中学生になり、ようやく恥ずかしい思いから、永遠に解放されました。

というのは、今から45年前の、田舎の中学男子は、全員坊主頭が強制だったのです。

もうこれで、普通にすごしていられる、じぶんだけ孤立したのは、過ぎ去った、過去のものになったんだという、安ど感がありました。他の小学校出身の、友だちには知られたくない、暗い思い出の過去に。

「いいなあ、君は、中学生になっても、何の違和感もないから」

と、じぶんをボウジと命名した子が、不釣り合いな坊主姿で、もらしていました。

けれども、あの体験があったからこそ、社会で敬遠されている人の気持ちが、理解できるようになれたのだろうと、今は、思えるのです。

 

 

 

 

 

 

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