ハダシの帰り道

日ごろ おもいで話

 

子どもの頃、小学校低学年、あるいは幼稚園だったのか、母親と二人で、何かの用事の帰り道でした。

夕方すぎごろ、電車が駅に着いて、外に出ようとしたとき、じぶんは片方の靴を、ドアとホームの間から、線路に落してしまいました。

「やばい‼どうしよう」と、すかさず母に、助けを求めました。じぶんはその時、てっきり母は、駅員さんに話をして、うまく靴を救出するだろうと、考えていました。

ところが母は、そんな予想を裏切って、急にいつものように、プリプリと怒り出して、「何やってんだか」とか、説教しながら、グイグイとじぶんの手を引き、さっさと駅を出ていきました。当然片方の足は、靴下だけの状態で、ついていくのが大変でした。

自宅までは、30分とかでしたが、余計長く感じられました。駅前商店街は、人混みもあったので、恥ずかしくもあり、夜道で良かったと、思いました。と同時に、普段意識しない、はき物のありがたさを、まざまざと実感しました。

舗装道路でしたが、その時のゴツゴツとした、冷たくて、痛い地面の感覚を、忘れることはできません。ハダシのままで、普通の道を歩いたのは、後にも先にも、その一回きりだからです。

どうしてお母さんは、あのままにしたんだろう、という気持ちはありましたが、さらにしかられたくなかったので、じぶんがいけないんだと、黙っていました。

プライドが高く、生活面ではきびしい母親だったので、シツケの意味もあっただろうし、こんな失態で、駅員さんをわずらわせたくないという、考えもあったと思います。

そんなある日、じぶんと、三才下の弟が、同じ時期に、病にかかったことがありました。

それ程重大な病気では、なかったのですが、その時ばかりは、妙に母はふさぎ込んで、布団で寝ている弟の脇に、へたりと座り込んで、ホロホロと、涙を流したのでした。

「何でなのかねえ~」とか、珍しく、弱音を漏らしていたと、記憶しています。

母親が、泣いているのを見たのは、後にも先にも、その一回きりだからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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